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カレッジフットボールレポート;フットボールよりも大切なこと

2019/08/12
 
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メジャーリーグベースボールから透けて見えてくるアメリカの文化や習慣に関する記事、その他、旅、英語、音楽関連の記事を、ちょっと変わった視点で書いて行きます。

2017年9月、カレッジフットボール、サザンカリフォルニア大学(USC)トロージャンズの開幕戦で、目の不自由なロングスナッパー、ジェイク・オルスン選手が、念願の公式戦出場を果たしました。48-31で迎えた第4Q残り3分、PAT(ポイントアフタータッチダウン)キックの場面で起用されたオルスン選手は、見事なロングスナップを供給し、キックは成功。ダメ押しのエクストラポイントで、USCの勝利を決定付けたのです。

これは、彼が生まれた時からの、そして多くの人々が関わる壮大なストーリーです。日本ではこの事実を、エスクァイア日本版、スポニチアネックス、奇跡体験アンビリバボー他が詳細に報道しています。ここでは、それらが伝えていない部分にも言及している、SBネイションのモーガン・モリアーティー記者によるレポートを、他の報道からの補足と、私の意見と感想を交えてまとめてみました。特に後半、両チームだけでなく、リーグ全チームのヘッドコーチたちとオフィシャル、そしてUSCの医師たちの関わりや協力が、日本語のレポートではほとんど伝えられていない部分です。

ジェイク・オルスンさんは、生後10か月で網膜芽細胞腫と診断され左眼を摘出し、義眼をつけての生活を余儀なくされます。しかし彼は、あらゆることに前向きに取り組み、10歳にして本を執筆するなど、注目に値することも成し遂げて来ました。そんな彼の一番の楽しみは、USCトロージャンズのゲームを観ることでした。しかし12歳の時、右眼をも摘出しなければならなくなります。

もちろん、絶望し、泣き続けた夜もありました。しかし手術に臨み彼は、「USCのゲームを二度と観られなくなるのは悲しいこと。光を失うのは、とても辛く大変なこと。でも僕は今から、誰も経験しないことを経験しようとしている」こう言って、自らを鼓舞しています。僅か12歳にして。

ジェイクの存在は2009年に、ESPN・カレッジゲームデーの中の、あるセグメントで取り上げられ、ファンや関係者に知られるようになります。彼は手術の約1か月前、「最後にトロージャンズのゲームをもう一試合観たい」と、両親に訴えます。そして彼の願いは、当時のヘッドコーチ(現シアトル・シーホークスヘッドコーチ)、ピート・キャロルの元に届き、キャロルコーチはそれを叶えます。「彼をチームに招き入れ、見たいものを全て見てもらおう。彼はそれに充分値する。」その時から、そして手術後も継続して、ジェイクはトロージャンズの名誉部員となりました。ハイスクールではその熱意で入部を認められ、ひたむきに練習し、試合では特別な措置があったとは言え、実力でロングスナッパーとしてのポジションを勝ち取ります。そして2015年、憧れのUSCに入学し、トロージャンズに入部します。

そして3年目のシーズン開幕戦、対ウェスタンミシガン大学(WMU)戦で、オルスン選手を出場させるプランが遂行されます。その序章。WMUがこの試合最初のタッチダウンを奪います。しかしこれに続くエクストラポイントを狙ったPAT・キックに対し、USCはラッシュしませんでした。やがてやって来るかもしれないオルスン選手出場の時のために、借りを先に返しておいたのです。

その後接戦が続き、USCはようやく第4Q中盤で勝ち越し。そして42-31で迎えた終盤、タッチダウンを決めたUSCは、PATキックを選択し、ついにその機会がやって来ました。ヘルトンコーチは、試合前に予め打ち合せておいたWMUのレスターコーチに、眼で合図を送ります。これを受けたレスターは選手たちを集め、経緯を説明した後で、「彼に決して触れるな、彼に対して叫ぶこともするな、いつもと同じように低い姿勢を取り、しかし決して動くな。」と指示し、以下の様に付け加えます。

「お前たちは今、フットボールよりも遥かに大切なことに臨もうとしている。それは人間としてどうありたいか、どうあるべきかの問題で、優秀なフットボーラーであることよりも大切なことだ。」そして選手たちは「Yes, Sir!」と答え、感動の舞台となるフィールドへ、再び向かったのでした。

USAトゥデイのジョージ・シュローダー記者は、「全てはUSCのクレイ・ヘルトンコーチとWMUのティム・レスターコーチとのメール交換から始まった」とレポートしています。ヘルトンが、目の不自由なオルスン選手をエクストラポイントのスナッパーとして出場させたい、というアイデアを打ち明けた時、レスターは全面的に賛成しました。そしてヘルトンがレスターにメールアドレスを伝え、物語は動き始めました。

USCの医師たちは、オルスン選手の公式戦出場を認めるに当り、対戦相手のコーチがこのプランに乗ることを条件としていたのです。盲目の選手が相手チームディフェンスのラッシュを受けることは、あまりに危険だからです。

レスターコーチは後にこう語っています。

「ヘルトンコーチは私に、オルスン選手の出場を穏やかに提案し、私が同意しない場合は取り下げると言いました。しかしその提案を受け入れることは容易な決断でした。なぜならそれは、フットボールよりも大切なことだからです。協力できたことを嬉しく思います。」

「我々の最初のPATは基本的にキック。そしてその後いよいよその時が来たら、ヘルトンコーチはタイムアウトを取り、私を見る手筈になっていました。オフィシャルも理解していました。それで私は選手たちを集めて、これから何が起ころうとしているかを説明できたのです。」

勝つことを命題としているメジャーカレッジフットボールは、相手に手加減できるような安易な世界ではもちろんありません。ヘルトンコーチの呼びかけにより、全チームのヘッドコーチたちの間で、自分たちにどこまでできるのか、手に負えないことは何か、が入念に、徹底的に議論されました。そして、これは一人の青年にとっての、生涯一度、千載一遇の機会であるという認識が決め手となって合意に達し、オルスン選手の出場は実現したのです。

写真や動画を見ると、オルスン選手は、カレッジフットボーラーとして通用する体格を作っており、単にチームに帯同しているのではなく、他の選手たちと全く同じではないにしろ、充分なトレーニングを積んで来たことが判ります。ロングスナップも、寸分の狂いもない、本当に見事なものだったそうです。

ここで誤解してはならないのは、試合において特別な措置があったとは言え、オルスン選手はロングスナッパーとしての出場機会を、実力で勝ち取ったという事実です。実情を考慮し、憐れんで出場させるということが、メジャーカレッジフットボールにおいてできる訳もないし、許される筈もありません。またジェイク本人も納得しないでしょう。ヘッドコーチはあくまでも公平に見ており、彼のロングスナップが試合で充分通用する実力に達したからこそ、今回のプラン実現に奔走したのです。

以上が、相手チームを始め多くの人々の協力を得て実現した、感動のストーリーです。尚、オルスン選手はこの約1ヶ月後、オレゴンステート大学を相手にしたホームゲームで、シーズン2本目のスナップを決めました。

その他。

シアトル・シーホークスのキャロルヘッドコーチ。「ジェイクが自分にできることを世に示す機会を、ヘルトンコーチが作ってくれた。大変嬉しく思う。ジェイクは驚くべき青年で、10歳から現在まで、注目に値することをたくさん成し遂げて来た。これから、大きな影響力を持つ重要な人物になるだろう。あのロングスナップを見て、私は涙が止まらなかった。」

PGAツアー始まって以来の盲目ゴルファーを目指したこともあるジェイクは、オレンジルーセランハイスクールのゴルフチームにも所属していました。キャディー(通常父親)がボール直後のスクウェアな位置に彼の持つクラブを導き、その後スイングするという方法で、彼は80台でコースを回り、ベストスコアは78。今でも並外れたスイングをするそうです。曰く「一年近く、ボールを安定して確実に捉えることに取り組んで来ました。完全に苛立ってクラブを投げ出す日々もありましたが、練習を止めようとは思いませんでした。」

名門USCで、もちろん学業にも精一杯取り組んでいる彼の次なる目標は、勝敗が大方決したゲームの終盤ではなく、より大きな意味を持つスナップを供給すること。このどこまでも前向きなジェイクのストーリーに偶然巡り会えたことを、私は嬉しく思います。

盲導犬ケベックとは6年の付き合いだそうです。

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