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今お勧め!この2冊;(2)渚にて

2022/08/09
 
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メジャーリーグベースボールから透けて見えてくるアメリカの文化や習慣に関する記事、その他、旅、英語、音楽関連の記事を、ちょっと変わった視点で書いて行きます。

お勧めしたいもう一つの作品が、ネヴィル・シュート1957年発表のSF「渚にて」(Nevil Shute「On The Beach」)です。前の記事で紹介した「復活の日」を執筆するに当たり、小松左京氏は大いに影響を受けています。実際「復活の日」のストーリーには「渚にて」のエッセンスが数多くちりばめられています。 氏はまた、「21世紀を生きる若者たちに、ぜひ読んで欲しい作品」と推薦しています。

「復活の日」が、人類が再び世界に広がり繁栄していくことを示唆して終わるのに対し、本著は完全な破滅もの。人類滅亡小説のベストと言って良い名作です。元凶はウイルスでなく放射能です。

1961年、イスラエルとアラブ諸国の争いから発展したNATOとソ連の戦いが更に飛び火し、ソ連と中国の間での、そして混乱の末米英をも巻き込んだ、核兵器戦争へと瞬く間に進展しました。飛び交った4,700発のコバルト爆弾と水素爆弾により戦争は短期間で終結し、北半球は濃密な放射能に覆われ、汚染された諸国は次々と死滅して行きました。

その1年後の1962年暮れ、オーストラリア最南の大都市メルボルンとその近郊を舞台に、このストーリーは始まります。北半球の放射性降下物は徐々に南下し(*)、オーストラリア北部の街は既に連絡が取れず、やがてその前線はメルボルンにもやって来ます。人々は、政府が頒布する、赤い小箱に収められたシアン化物の錠剤を飲んで、自ら命を絶って行く、というストーリーです。

*)南北それぞれの半球で、風は巨大な渦を描いており、北半球から南半球へ直接吹き込むことはない。しかし1月に北半球気圧域の風がインド、タイ、マレーシアに置いて行った放射性降下物を、気圧赤道が北へ行った7月に南半球気圧域の風が拾い、オーストラリアに届ける。前線がメルボルンに至るのは1963年9月かあるいはもう少し早いと予測され、ほぼそのとおりに南下する。

性善説に立った小説であるという書評を目にしたことがあります。 暴動が起こるでもなく、終わりの日が近いことを察しながらも、人々は秩序を守り、繰り返し未来のことを語ります。来年の収穫を、子供の教育を、地域の経済を。 軍や科学者は、放射性降下物前線の南下予測が変化する可能性も視野に入れ、世界各地の現状をできる限り知ることに努めます。

-主な登場人物-

ドワイト・ライオネル・タワーズ ; 米海軍原子力潜水艦スコーピオンの艦長。海上を哨戒中、開戦と共に艦を潜水させた。大気が塵埃で曇る硫黄島北部とルソン島北岸で高濃度の放射能を検出して浮上できず、どの米軍基地とも通信できぬまま南へ進路を取り、他の艦艇とともに放射能濃度の低いヤップ島を経由してブリスベンに難を逃れ、オーストラリア海軍の指揮下に入った。核燃料を調達・補給したスコーピオンは、メルボルン海軍基地の船渠のある軍港ウィリアムズタウンを母港とし、オーストラリアで最重要の艦艇となって、連絡の途絶えた北方へ2度の調査に赴く。

ピーター・ホームズ    ; 5ヶ月ぶりの軍務を任ぜられた、オーストラリア海軍少佐。同国海軍司令部とスコーピオンとの連絡士官としてタワーズ艦長の指揮下に入り、スコーピオンに搭乗する。妻メアリーと、生まれて間もない娘ジェニファーの3人家族。結婚半年後に開戦となり、オーストラリア海軍のフリゲート、アンザックに乗艦し、3ヶ月後、どうにかウィリアムズタウンに帰還していた。

モイラ・デイヴィッドスン  ; メルボルンのダウンタウンから南東へ30km、ハーカウェイの農場の娘。両親との3人暮らし。ピーターがホームズ家に招いたドワイト・タワーズ艦長の相手をメアリーに頼まれ、彼と知り合う。

ジョン・シーモア・オズボーン; 英連邦科学産業研究機構から派遣された、非軍籍の科学士官。科学関連の任務のためスコーピオンに搭乗し、放射能濃度の計測・把握と危険度の判断において作戦に貢献する。子供の頃からカーレースが好きで、戦争後、世界最速のレースカー、エタノール混合燃料で走るフェラーリを超破格値で入手していた。モイラの遠い親戚。

物語は静かに、坦々と進みます。この静けさが逆に恐ろしさを増します。北方にもまだ生存者がいるのではないか、放射性降下物が予測どおりにはやって来ないのではないか、という望みが一つ一つ消えて行きます。

1963年が明け、試験就航の後、スコーピオンは北部へ1度目の調査に出ます。既に連絡が取れなくなっていたケアンズ、ポートモーズビー、ダーウィンで、沿岸からの拡声器による呼びかけに応じる者はなく、生存者はありませんでした。南緯20度以北では、放射能のため甲板に上がることすら不可能でした。

2度目は4月下旬。オーストラリアで前線は現在ロックハンプトン南方に来ており、今の速度なら6月にはブリスベンの南に至るだろう、という時期です。今回は北半球、北米西海岸へ2ヶ月弱、その内1ヶ月以上は潜航という、乗組員の精神的な健康状態が不安視される就航です。

主要任務は、ヨーゲンセン教授が提唱し、科学者の間で広がっている希望的観測(*)の真否を判断するため、太平洋を北米大陸沿いにできる限り北へ、北緯60度まで行き、放射性降下物の分布を調べることです。

*)「北半球で冬に降った雨と雪が大気を洗浄し、浮遊する放射性降下物が急速に消散・希薄化していく。つまり予測よりも早く地表と海面に落下し、北半球には永らく人が住めなくなるが、南半球への降下物移動量は減少し、居住可能であり続ける」というもの。もしも正しければ、赤道を越えて北へ進むと、放射性降下物が均等に浮遊する海域が暫く続いた後、減少に転じるところがある筈だが、反対者も多く、今のところ、この説は楽観的に過ぎるという懐疑的な意見が大勢を占めている。戦闘機による南シナ海北緯30度までの調査で得られた結果は、決定的証拠とまでは行かないものだった。

そしてもう一つの目的が、核兵器戦争以来1年以上に亘り、北米西海岸シアトル周辺から時々発せられる、謎のモールス信号の発信源を突き止めること。意味をなさず、まるで使い方を知らない子供が通信機器で遊んでいるかのような信号です。

南緯30度付近で潜水を開始して10日目、ロサンジェルス、サンタバーバラ、サンフランシスコの沖を注意深く航行し、時にとどまり観察を続けますが、生存者の気配はなく、放射性降下物濃度は一様に高く浮上すら困難です。海岸沿いに北上を続け、その夜フォート・ブラッグ沖で浮上した際、問題の電波が補足されます。方角を確認した結果、予想どおりサンタマリア島でした。

スピーカーから漏れてくる音は、無電に無知な者がでたらめに打ってもこうはならない、たまたま発生して電波に乗ったものと思われました。しかし打電されるということは電気が供給されているということであり、そこには生存者がいるかもしれない、という僅かな可能性も残りました。

北上を続けた翌日深夜、放射能レベルが危険濃度で生存者がいない筈の、コロンビア川河口の川岸に光が見え、水力発電がメンテナンスなしでも生きていることが判り、やはり信号は何かの偶然だという予想に落ち着きます。

更にその翌日、いよいよスコーピオンはサンタマリア島の埠頭沖に至ります。サンダーストロム無線士官が防護服を着て上陸し、かつて研修を受けたことのある通信教練所付近にあるに違いない問題の発信施設を探します。

変圧機関から伸びる電線が通じている事務所棟2階の主通信室に入ると、[通信用机とその前に直立する無線機器ラック]が2セットあり、その一つは、窓の脇に据え置かれていました。この窓枠が壁の蝶番から外れ、下端を屋外に突き出す格好で机の上に倒れていました。上端の一つの角は、机上に転がったコークのボトルに不安定に乗っており、更に発信機の打電キーが、この窓枠の下に位置していました。そして風が吹くと窓枠が揺れて打電される、という仕組みでした。

こうして、15,000kmの彼方からやって来たスコーピオンの任務の一つが完了し、サンダーストロムはこの発信機で事実を報告した後、通信を閉鎖し、艦に戻ります。

物語の大きな山場ですが、どこか無味乾燥です。サンダーストロムの上陸に際し、「きっと生存者がいるに違いない」と、読者に期待させるのではなく、「無線電波はおそらく何かの偶然だ。生存者がいないこともほぼ確実で、殆どのことは既に把握できている。成果が得られなかったとしても、無事帰艦することが最優先」というスタンス、そして実際、単なる偶発事だった、という平坦さです。

しかしこれが逆に、恐ろしさをより感じさせます。放射性降下物分布の調査結果も、大方の予想どおり、ヨーゲンセン効果を支持するものではありませんでした。

一方、体温を感じさせるエピソードもあります。モイラ・デイヴィッドスンとドワイト・タワーズの心の機微です。

大酒飲みでずけずけと物を言い、しかし人の気持を思いやることのできるモイラは、とても魅力的な、「いい女」として描かれているように私は思います。

二人は、互いに惹かれます。

初対面の朝、待ち合せたフォールマス駅から、招かれたホームズ家へ馬車(オーストラリアのガソリンは北半球からの輸入なので、最早自動車は走っていない)で向かう途中、ドワイトはホテルのバーでモイラの酒に付き合い、彼女の率直な物言いに新鮮さを感じ、好感を持ちます。

ドワイトは、潜水艦に興味を持ったモイラを、ウィリアムズタウン港の航空母艦シドニーと、その脇に入港しているスコーピオンに招待します。そして二人は、夜の活気あるメルボルン中心街を楽しみ、北部への就航から帰還した後の再会を約束します。モイラと、本来物静かなドワイトの会話は、実に楽しそうです。フリンダーズ通り駅で別れた後、ドワイトはモイラが雑踏に紛れるまで見送り、その後ろ姿に亡き妻シャロンを重ね合わせます。

1度目の就航後、モイラの強い希望で、ドワイトは再びホームズ家に招かれ、ヨットレースやビーチでの夕食を楽しみます。帰り道、フォールマス駅で別れた後、モイラの馬車が角を曲がって見えなくなるまで、ドワイトは立ちつくして見送ります。

モイラは、ドワイトを農場に招きます。「直す必要のある衣類を、残らず全部持っていらっしゃい。私が繕ってあげるから」と。ドワイトは、自然豊かな美しい農場で、心安らぐ3日間を過ごします。

このように二人は惹かれ合い、その後も街で一緒に食事をしたり、週末をハーカウェイの農場で過ごしたりします。しかしドワイトは、コネチカット州ミスティックで今も妻と子供が自分の帰りを待っているという前提の態度を貫き、モイラとの間に明確な一線を引きます。北半球の核兵器戦争で、家族は既にこの世にいないということを重々承知の上で。そしてモイラも、ドワイトのそういう気持を理解し、最低限の距離を保ちます。ドワイトが、幼い娘へのおみやげ、ポゴ・スティックを探すことに、友人として積極的に協力します。

この二人の心の機微が、40代半ばを過ぎ、4度目に読んで初めて、ようやく私の心の琴線に触れるようになりました。

高校生で初めて読んだ時には、当然サンタマリア島の無電台が最も印象に残りました。2度目3度目も、そこに辿り着くのが楽しみで読んだようなものでした。また、オーストラリアの地図を傍らに、どこで患者が出始め、どこが全滅したか、前線の南下を都度確認しながら読んだものでした。血の通わない部分に興奮していました。

お気に入りの映画を繰り返し観るように、好きな小説は、時間を置いて何度も読むと良いと思います。その都度新たな発見があり、また自分が変わって来ていることが判るからです。

そして5度目に読んで最も心に残ったのは…

ラジオのニュースがアデレードとシドニーでの症例発生を伝えた8月1日、モイラの提案で、二人は、解禁を待って鱒釣りに出かけることを計画します。「週末に軍務を離れ渓流で鱒釣りがしたい。息子へのお土産の釣竿を試すため。しかしどんな状況であっても、世話になっている他国の法は遵守したい」というドワイトの希望を叶えるため、モイラが環境当局に掛け合い、世論も後押しして、本来9月1日である解禁が、8月10日まで早められたのでした。

ここでも性善説に基づいた展開です。人々は自暴自棄にならず、法律を守り、平和な日常を享受することに、最後まで努めます。

解禁前日、モイラの父親がガソリンを蓄えていたデイヴィッドスン家のフォード・カスタムラインで、ウッドポイントという小さな町を更に奥へ登って辿り着いたジャーミスン・ホテルのバーは、宿泊する釣り客で、例年になくうるさいほど込み合っていました。楽しみな渓流釣りの前夜、二人で酒を楽しんだ後、夜が更けて、ホテルの自室でモイラが一人嘆きます。あの気丈なモイラが。

「あと5年あれば。5年あればドワイトは、今はもういない家族のことを忘れ始め、私の方を向いてくれる。その時こそ新たな家族を与え、再び幸せにしてやれる。でも私にはもう、1週間しかない」 涙が頬を伝います。近隣の街で患者が出始めている、物語終盤のエピソードです。

そして今回この記事を書くにあたり改めて最新訳と原書を読み直し、この、二人の心の機微こそが、この物語の本質ではないかとさえ思いました。

ジョン・オズボーンは、例年よりも3ヶ月早く8月中旬開催となったカーレースのビッグイベント、オーストラリア・グランプリに出場します。本来アルバート・パークで行われるこの大会、今回は安全のための人員確保が難しいことにより、メルボルンから南東へ60km隔たったトゥーラディン村の一般道を使うこととし、また出場者数の多さゆえ、7月下旬に予選が行われました。彼も、ガソリンを備蓄していた他の選手達も、ここで命を落としても構わないという果敢な運転でレースに臨み、実際そのような死亡事故が多数起きました。しかし彼は、雨という条件下、経験が浅いことの自覚と勝つための慎重さとで自衛力に優れ、終盤衝突事故に巻き込まれながらも、望みどおり予選を、2位で通過しました。

前線の到来を考慮し1週間早められた8月10日の本戦。ここでも多くの死傷者が出る激しいレースになりますが、5kmのコース80周を、平均時速144km/hで終えたオズボーンは、2位を大きく引き離し、見事優勝します。

渓流釣りの後、モイラとドワイトは、ホテルのバーの、ラジオの前に陣取りニュースに聞き入ります。そして、ジョンが念願を果たしたことを、心から喜びます。

終わりの時は、メルボルンにも無情にやって来ます。最も好きなこの小説を繰り返し読み、今回真剣に死を見つめてみました。

前線が到達する2週間くらい前まで、あるいは数日前まで、人によっては症状が出るまで、人々は慣れ親しんだ仕事に勤しみます。そういうものなのだろうな、と私は思います。軍のさしたる仕事がなくなってしまったドワイト・タワーズは、デイヴィッドスンの農場や、ジョン・オズボーンの愛車整備を手伝います。モイラ・デイヴィッドスンは、速記タイプのビジネススクールに通い続けます。

ジョン・オズボーンの情報によると、8月8日時点で、メルボルン市内で症例が確認されていました。 ここからは、畳みかけるように物語が進行します。

8月13日(火)、米海軍軍人としての死を選ぶことを決意していたタワーズ艦長は、ホームズ少佐と共にオーストラリア海軍第一司令官デイヴィッド・ハートマン大将を訪ね、指揮下からの離脱を申し入れて了承されます。そして、同意するクルーと共にオーストラリア領海外のバース海峡でスコーピオンを沈没させる考えであることを伝えます。

この時点で、ハートマン大将は発症していました。タワーズ艦長に同行するスコーピオンの10人のクルーのうち、7人が発症していました。

タワーズは、ハートマンに別れを告げます。「閣下の指揮下で働けたことは、このうえない喜びです」

そしてタワーズは、いまだ彼の力になろうとするホームズを、家庭こそ今守る場所だと諭し、軍務から解放して握手で別れます。

同じ日の朝、ジョン・オズボーンは、2日前から寝込んでいる母親と優しく会話した後、誰もいなくなった職場、科学産業研究機構の局舎に出向きます。机上に置かれた、目にするのは最後になるであろう報告書には、タスマニア島ホバートとニュージーランドのクライストチャーチでの発症が記されていました。 市内電車はいまだ時折走っており、常に込み合っています。

家に帰ると、彼にとっていつも正しかった母親が、寝室の整えられたベッドで仰向けに横たわり、眼を閉じていました。傍らには走り書きしたメモ、そして赤い小箱と空の小瓶。母親がそれを持っていたことを、ジョンは知りませんでした。別れを告げて自宅を後にします。

その夜、ホームズ家では、メアリー、ピーター、ジェニファーがいずれも発症します。

ジョン・オズボーンの大叔父、元陸軍中将ダグラス・フラウドがビンテージワインを仲間と消費するため毎日通っているパストラルクラブは、長い歴史を持ち、良き時代の雰囲気を残す貴重な建造物です。ジョンは火曜日に家を離れた後、メルボルン市街にある囲い地のガレージで愛車を整備しながら、そのクラブに寝泊まりしていました。この間、体調が悪くなっていました。

16日(金)、その寝室を、自身の回復に疑問を持ったピーター・ホームズが訪ねます。ジョンは、それが束の間であり2度目はもう回復しないことを教え、別れを告げます。「どこかでまた会おう」

体が一段と弱ったジョンは、アルコールのせいで束の間発症が遅れてまだ少し元気な大叔父と別れ、愛車フェラーリの待つガレージへ行き、その運転席で、白い錠剤を嚥み下します。「人生のクライマックスで優勝させてくれた、親しい友人のようなこの車と一緒にいる今こそ、先へ進む勇気を持たなくてどうする?」と。

その日の午後、ホームズ一家。ピーターは一時的な回復を隠し、メアリーと、互いに感謝の意を伝え合い、ベッドで穏やかに最期を迎えます。ジェニファーについては、2度目の就航前、二人に喧嘩腰の議論をさせることで、ここではあっさりした表現になっています。それでも悲し過ぎるので、私はここには書きません。書けません。作品を読んで下さい。

その夜、ドワイト・タワーズはモイラ・デイヴッドスンに別れの挨拶をするために電話を掛けます。お互い既に症状が出ていますが、モイラは見送りに行くことを約束し、彼女よりも病状の重い両親にそれを伝えます。

母「いいわ、あの人にさよならを言ってらっしゃい。ほんとにいいお友だちだったんだもの。…でもあなたが帰って来た時、もしも私たちがここにいなかったら、何があったか察してね。いざというときのものは用意してあるの」

ラストシーン。

翌17日(土)朝、モイラは、彼に初めて会った日の赤い服を着てウィリアムズタウンを訪ね、空母シドニーでドワイトと最後のお別れをします。そしてフォードを飛ばし、幼い頃を過ごしたバーウォンヘッズから程近い、外洋を一望できる岬から、海面に突出する灰色の影を認めます。車に戻り、スコーピオンの艦橋が遠く霞んで見えなくなった後、赤い小箱の小さな瓶に収められた白い錠剤を、好物のブランデーで飲み下します。「ドワイト、もしもあなたが先なら待っていてちょうだい」と呟いて。

恐ろしくも美しい、切なく悲しい物語。SFの枠に収まり切らない究極のストーリーを、この時期ぜひご一読下さい。

モイラの大酒飲みな様子が、第1章・第2章で存分に楽しめますよ。

物語の序盤でパストラルクラブの貯蔵庫に3,000本あったビンテージもののポートワインは、ダグラス大叔父とその仲間が一生懸命飲んで、終盤には50本になっていました。酒好きの皆さん、ご安心下さい。

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Comment

  1. sikis izle より:

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